ななつめの井戸レポ

よしなしごとによるリハビリテーション

アヤへの手紙 #01 世界という大きな書物

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アヤへ。

この下書きは、飛行機のEチケットを裏紙にして書いていた。

モレスキンの手帳とか、そうでなくともせめて、あのクリスチャン・スケジュール・ブックとか、風情のある紙はいくらでもあるだろって、君は呆れるかもしれない。でも、A4紙を4つ折りにすると、ちょっとした本くらいのサイズ感で、書きやすいんだ。だからこれも、仕方ないってことにしておいてほしい。

飛行機は少し揺れている。真っ白で厚い雲の上を飛んでいる。立体的で、地上は見通せず、なめらかで美しい表面がかがやくように一面に見えている。翼より幾らか上には、高層雲なのか巻層雲なのか、また別の、紫がかった灰色の薄い雲がたなびいている。

昔読んだ『空の名前』(高橋健司、1999年、角川書店) で、雲は幾つかの層に分かれていると知ったけれど、まさかこんなにくっきりと分かれているって――というか、それぞれの在る層がけっこう離れているんだって――ことは、飛行機に乗って初めて知った。

乗り物は良い。色んなものをじかに見せてくれる。眼下には蛇行する河川が砂地の地形を築いているのが見える。はるかに小さく見えるこれも、間近になればまた違って感じられるだろう。知識と経験はやっぱり別物だ。

本は、ここではないあちこちへ、ひととびに連れて行ってくれる。乗り物では、僕たちは実に地道に(空路とはいえ!)移動する。時間をかけ、沢山のテクノロジーを使って、ものすごい量のエネルギーを消費しながら、物質的制限を伴う身体でもって、その制限に律儀に従っていく。思うに、僕たちはその律義さで、いわば、デカルトのいうところの「世界という大きな書物」(ルネ・デカルト方法序説』)を読みに行くのだ。

本を読むのにある程度の語彙や教養が要るように、世界を読むのにも知識が要る、と僕は思う。歴史、地理、地質、気象、文化、エトセトラ。知識は僕たちを豊かにし、世界を”よく読める”ようにしてくれる。勿論、斜め読みができるように、意味が解らずとも想像で補いながら文字をたどることができるように、世界だってわからないなりに懸命に見ることは可能だ。歯が立たなければ迂回して知識を蓄えてもいいし、時を経て読み返せば、まるで違う印象を抱くことだってあるだろう。

僕たちは知識と経験のあいだを行ったり来たりし、本と「大きな書物」を行き来する。きっとこの「大きな書物」はお気に入りになるし、乗り物はそれを読むのにうってつけなのだ、と僕は思っている。

今はたぶん、カナダの上を飛んでいる。円い湖がぽこぽこと口を開けていて、湿地帯のような雰囲気だ。黄土色の土地。一本だけ、いやにくっきりとしたラインを見せている河は、いったいどうやってできてどこに行くのだろう。クレープの表面に似た地面が、低層を流れる雲でかき消され、見えなくなる。この書物を、僕はまだ満足に読めない。いつかきっと、知識を蓄えて、あの土地を踏んでみたいと思った。